1.梶山の由来

下赤塚梶山町会は1949年(昭和24年)当時の下赤塚2丁目の一部から独立して発足しました。
「梶山」の由来はこの地域の地主であった「梶山家」に由来すると考えられ、この梶山家との関係は分かりませんが大正の末期まで(現在の赤塚二丁目2番)付近・梶山町会の中心部に「梶山少将・おしな、夫婦の墓」(いつの時代の方かは不明)が塚としてあったとの事です。

梶山町会は昭和7年9月まで「東京府北豊島郡赤塚村大字下赤塚字梶山」この字の地域が町会名になったのでは(正確なことは不明です)。

またこの梶山についてはこの地域の氏神様である諏訪神社の紋章が「梶の木の葉」であるので何かの関係が有るのではないのでしょうか?

2.歴史

  • 江戸時代:下赤塚村は、武蔵国豊島郡下赤塚村として、武州の名主・名取氏の下で統治されていました。
  • 明治時代:1871年(明治4年)に、下赤塚村は板橋宿に編入されました。
  • 昭和時代:1949年(昭和24年)に、下赤塚二丁目の一部から下赤塚梶山町会が独立しました。

3.地域の特徴

  • 下赤塚梶山町会は、下赤塚駅北側に位置し、約1780世帯が居住する地域です。
  • 町内には、赤塚銀座会、赤塚一番通り商店街、の2つの商店街がありスーパーはライフ赤塚店と東武ストアー下赤塚店、コンビニはファミリーマーケット、イオンのマイバスケットが2店舗セブンイレブンが2店舗、マクドナルド・松屋等やドラックストアーなど非常に便利な生活環境にあります。
  • 高層住宅も多く建ち並び、近年は都市化が進んでいます。

以上参考資料は当町会加藤弘氏の「赤塚今昔物語」、板橋区の資料、グーグルAI

板橋区赤塚の由来

板橋区赤塚の由来には、主に以下の2つの説があります。

1. 赤塚という塚があった説

  • 松月院(赤塚八丁目)の門前あたりに、古墳時代の地元の有力者と思われる被葬者不明の円墳(塚)があったとされています。
  • この塚は、ずっと昔から、このあたりの人は『荒れ墓」とか「荒れ塚」と呼んで、恐ろしがって近寄りもしなかったといわれます。
    「荒れ塚」の呼び名が、いつの間にか「アカツカ」「赤塚」となったと言い伝えられています。。
  • 1892年(明治25年)に記念碑を造成する際に壊されてしまい、現在は残っていない。

2. 赤土が採れた説

  • 赤塚は荒川低地に位置しており、かつては赤土が採れた。
  • 赤土は瓦や煉瓦の原料として利用されており、それが地名の由来になったという。

どちらの説が正しいのかは定説がありませんが、「赤塚」という地名は、塚または赤土に由来していると考えられています。

その他

  • 赤塚の地名が文献上に初めて登場するのは、室町時代初期(南北朝時代)の『足利尊氏・同直義所領目録』にある「武蔵国赤塚郷」の記述です。
  • 赤塚は江戸時代には名主支配の村であり、農業が盛んでした。
  • 1932年(昭和7年)に東京市に編入され、板橋区となりました。

参考資料 板橋区教育委員会発行「板橋の昔話」、梶山町会加藤弘さん「赤塚今昔物語」 グーグルAI など。

お不動様の入り口付近

昔の一番通り商店街

現在のホープセンターの所に在った赤塚支所

お不動様

踏切からの風景

交番角昔のファションかとうさん

赤塚幼稚園

商店の開店風景

下赤塚駅南口

一番通りの旧名称公会堂通り商店街

踏切付近

昔の中田出世稲荷付近

この写真は成増駅

赤塚第一中学校

年代不明梶山町会航空写真


昔の梶山の写真や資料がありましたら提供よろしくお願い致します。    管理人